■ 尾張三十三観音霊場

 元禄5年(一六九二)名古屋は城下町として繁栄し、人口六万四千人を数え、江戸、大阪、京都につぐ都市となった。このころ観音巡礼が盛んになり、西国霊場の写しが各地に設けられ、尾張にも三十三ヶ所が設けられた。
 江戸中期から末期にかけて観音巡礼は庶民信仰の中心で、寺々は巡礼に震わったが、明治維新による廃仏毀釈の影響で衰退し、太平洋戦争では巡礼の道が断ち切られ、寺々は消失などで戦後は復興しなかった。
 昭和三三年(一九五八)に観音信者のよびかけで、三十三観音霊場結成の気運が高まり、八事山興正寺において、開創大法会がおこなわれ、尾張西国の七ヶ寺をはじめ、大須・宝生院や知多の七ヶ寺ほか尾張各地の有力な寺々が参加した。
 名古屋市大須・宝生院を打ちはじめに、知多半島を一周し、尾西から尾北を経て瀬戸より名古屋市へ戻り、尾張高野で知られる八事・興正寺で打納める、その道程およそ三百三十六キロのコースが設定された。


■ 三十三という数

 観音様が色んな形に身を変え、人々を救おうという考えから、三十三の霊場が選定されたもので、京都の三十三間堂もそうした現れではないでしようか。三十三と言う数は無限を示す数と言われております。


■ 第二十七番札所慶昌院

 当院の観音様は本堂脇本尊としてお奉りされております。どうぞご本堂へお参り下さい。また西駐車場に面して石造の白衣観音菩薩が奉られております。どうぞ合わせてお参り下さい。
 八月十八日の観音縁日の前晩の十七日に逮夜法要にて観音縁日万灯供養会をおつとめします。どうぞお気軽にお参り下さい。

観音御札