■ 慶昌院護持会だより

平成二十四年五月

 「いつまでも寒いでいかんねえ」会う人誰もが異口同音に挨拶される、それほど今年の春は天候不順でしたが、ようやく落ち着き初夏の風も心地良く感ぜられます。

 私事ですが、この四月に還暦を迎えました。満六十歳のこの身を年寄りだとは思いたくありませんが、限りある命ですので残り少なくなっていくのは間違いない事実です。思えば先代は五十九歳で他界しました。その年を越したという実感は複雑です。短い生涯でありながら縦横無尽の活動を直前まで続けた先代と比べ、今の自分に残された僅かな時間で、一体どれ程の事が出来るのか?またその人生はどれ程納得のいくものと成るのか?

 二月の中旬、宮城県の石巻に行ってきました。ご存知のように先の大震災にて甚大な被害に遇った被災地です。大学の同級生が亡くなりそのお寺へ有志数人でお参りに行ってきたわけです。Y師は元々一般在家の出身で、幼くして縁あって仏門に入り、たまたま私とは駒沢大学の学生寮で出会い、気心も合い、彼の生家へも遊びに行く程親しくなりました。本山の修行だけは私は永平寺、Yは総持寺と別れましたが、その後も年賀状だけは出し合う関係でした。ところが二年前、突然最愛の跡取り息子さんを亡くし、さらに追討ちをかけるようにこの度の震災に遇い、真に心身共に疲れ果てたのだと思います。息子さんの一周忌の直後、後を追うかのように自分で命を絶ってしまったのです。私には今でも「あの頑強なYが何で?!」と信じられません。

 時経ってつい先日、所属する集りの年度総会の次第の中に、毎年ゲストを招いての研修を企画するのですが、今回たまたまやはり大学の学生寮での同級生、N師を招き講演を依頼しました。Nは現在京都の花園大学の教授という肩書を持つエリートですが、私にとっては全く遠慮の要らぬ旧き良き友人に過ぎません。彼は京都と兵庫県の自坊を往き来するという激務を続ける中、そう成るべくしていつしか健康を崩し、今ではインシュリンをはじめ多種多様の薬を放せない、という尋常でない生活を強いられながら、それでも「旧友の頼みなら」との思いだけで、無理をしてはるばる名古屋の地まで足を運んでくれました。会終了後のプライベートな酒席で旧交を暖め合う中、ウーロン茶を口にNは言いました。「自分も亡くなったYに近いつらい時期もあったけど、今は一応寺の跡取りの心配も無くなったし、後はもうこの体と上手く付き合って、与えられた仕事をこなしていけばいいと思えば案外気楽なんだ」と。何て開き直った力強い生き様でしょう。

 二人の旧友のそれぞれの生き様、否、決してYを責めるつもりはありません。彼はギリギリまで頑張った末、真に身をもって私達旧友を被災地へ呼んだのでしょう。辞書では「寿命」と書きますが、私達が人間として受けることの出来たこの命は天からの授り物だから、本当は「授命」と表現した方がぴったりくる気がします。一回きりの授命だから尽きるまで使い切ってこそ寿命になるのだと思います。還暦を節目として「後何年生きられるか判らないからこそ、日々を一所懸命大事に生活するしかないのだ」とごく当り前な事を気付かされました。「どれ程の事が出来て、納得のいくものになるのか」なんて思いは後から勝手に着いてくるだけのものなのでしょう。